研究と開発

N0-93[精素学] 永遠なる健康とは

健全なる体に健全な心が宿るということは昔の人も良く知っていた。勿論、心は体から現れるのであるから、体が健康でない限り透明な思考は生まれないのだ。現代の人間はあまりにも忙しく、いかに良い健康の本があってもそれを実行する人はほんのわずかに過ぎない。だがいったん病気にかかると何んとかして病を治そうとして必死だ。しかし、時期遅れて後悔先に立たずである。どんなに忙しくても食事の時間と寝る時間はある。やる気さえあれば一日約20分位で十分な運動が可能である。それが出来ないということはその人は全てに御仕舞いである。ここで健康には何が必要であるかを説明してみる。健康に一番大事なのは胃腸である。全ての生物はまず食べなければ生きていけないのであり、食べたとしても消化が出来なければ生きられないのだ。つまり胃を丈夫にすることが大切である。次は心臓である。心臓は常に良い血液を各器官または細胞に送り込み、必要な酸素と栄養を運ぶので、血液の流れが遅れると体のバランスが崩れ、バイ菌が発生するのだ。次は肝臓と肺である。肺から良い酸素を十分にとり入れ腎臓で悪い汚物を排除しない限り人間の体はすぐ老化してしまう。勿論、脳の働きも大きいのである。以上述べたものを十分に働かせば他の器官はついてくるのである。ではここで健康に害を与えるものをいくつか述べてみよう。まず心は常に安定しておくこと。心を安定する秘訣は、ものをあまり考えないことである。ものを考えずに良い案が生まれるのかと反問するだろうが、考えたからといって良い案が浮かぶものでもない。もし良い案が出たとしても実際はどうにもならないものがある。全ての解決は対象から行うことである。心の安定の敵は過食であり多欲と感情である。その中でも金銭的なものと名誉欲等が優位を示す。次は様々な物欲と愛情問題である。人間からあらゆる欲を奪い取ったら何の為生きているのか?問題はそこである。欲しいものを全部求め、やりたいことを全部して長生きしようと思う人は間違った考え方である。人がやること全部しての天才はない。人がやることを全部しての健康は有り得ないのだ。太く短く生きるということは口実であって誰しも健康、長寿、無病が願望ではないだろうか。如何に太く生きようとしても難しいものだ。我々人間は社会の魔手に引っ掛からないで正しく生き、正しい体を作りあげながら立派な心を持つのが、永遠なる健康法だといえよう。

著 力 抜 山