研究と開発

NO-92[精素学]  奇 形 修 業

目で聞き耳で見る鼻で話し口で動かす、これが奇形修業法の実態だ。目で聞くということは物を見た時そのものの過去を聞いたように判かってしまうということだ。耳で見るとゆうことは、音とか話しを聞いただけでそのものの形をはっきり浮かび出し、まるで実物を見るがごとくなるということである。鼻で話す、無言通信、念の力でアタックし自分の意志を伝え相手の心を動かすことである。口で動かす、口を開き話した時はそのものが動くようになるのであり、お前は明日死ぬと一言いえば必ず死ぬのであり。相手に向かって憎しみを捨てろと言えばその通りなるということだ。これは達人になった時の例であり初心者はそうはいかない。このような実力者になるには奇形修業法から心身を磨いていかねばならない。その修業法に対しては次のようなものに心掛ける必要がある。まず目で聞く訓練は人相から始まる。その人を見た時幼い頃の出来事やら、 親のなりゆき体に傷があるのか過去のこととか、将来のことに対し細かく想像する。そして次は写真で鑑定し墓の中に眠っている死者の過去と死因等を判断する。次は家屋、家具等を見てどのような人によって作られたのか、そして吉凶を探り出す。耳で見る、これは目の見えない人に有利である。目があっても訓練によって耳で見ることが出来る。まず音の観察から始まる、部屋に座っていても色んな音が間こえて来る。その音はどこから聞こえて来るのか、何の音か足音を聞いてその人の身長顔形性格、何を着ているのか、 さらに年は幾つで健康体か病気を持っているのか、病気であれば何の病気なのかを考えてみることだ。鼻で話しをするということは心で念じ自分の意志を相手に働かせてみたり、友達を念力で呼んでみたり、前を歩いている人に念じ自分を振り向くように又は左向け右向け等をしてみる。これが旨くいけばテレパシーとか念力術が可能になるのである。口で物を動かす、己れが必要とするものを相手に命令する相手は必ずそのものを果たす、そして持って来たり持って行ったりする。これが旨くいって今度は動物にも応用する。石ころでも手を触れず動かすことが出来る。このような訓練には忍耐と根気が必要であり、一心不乱の努力が必要である。必ず出来ると信じてやれば必ず出来る日が来る。信は鉄も貫き信じてやれば必ず出来るのである。出来ないのは努力が足りないからだ。理論だけでは成功にはならない。

著 力 抜 山