研究と開発

N0-81[精素学]   念波の実態

念波は、念力術をする人だけが持っている独特なものだと思いがちだが、実はそうでなく誰もが確実な念波を出しているのだ。念波の本質は、心の働きから出るもので、自己意志で何かを思い出す時は、そこからの念波が目的地まで到達するのである。念波にも色々あって、各生態の働きをしているのだ。生物は見えない念波を発射し、それによっての自己防衛をなしているのである。分かり易くいえば、目には目での念波があり、耳には耳での念波、左脳念波、右脳念波、中脳念波、神経念波、細胞念波、そして各臓器も、大から小まであらゆる念波を出しているのである。念というのは生態刺激から出るもので心の無いものに念波はないと思いがちだが、実はそうではない。つまり我々が生きているのは細胞から神経に至るまで、全ての内臓や各部所の動力体の働きによって生をなしているのであって、それらの部所のものが死んでしまうと、我々は生きていられないのは事実である。我々が考えている思考や意識そして好き嫌い、これみな各部所の念から来るので、それぞれの部所の機能が低下すると局部念波がマヒされ、趣昧、意欲、執念等が働かなくなり、段々老化の道をたどることになるのだ。宇宙の法則によれば一つのものだけの成立はあり得ないので、必ず二合三成四通五行の法則によって成り立つものである。一つのものがあれば必ず別のものが現れ、その別のものの中にまた異なるものが次から次へと現れ波動するのだ。例えば小石を池に投げると、小石は一回しか投げていないのにもかかわらず、その水の波動は次から次へと現れて広がっていく。我々の体もこれと同じく、全体的な体は一つのものではあるが、体のなかの全てのものの波動によって色々な考えが浮かんで来るのである。その思考は更に空に波及され、目的地に到達すると、新たな反動が現れて戻って来る。そして行ったり来たりしながら、様々な情報を体の部所がキャッチするのだ。そのキャッチがどの部所からのものかによって織別するのである。それらの機能が低下するとキャッチが出来なくなり、良い思考も強力な念波も出せないのである。そのような訳で超能力を出すには、体の内部の全てのものが充実しない限り、確実な念波は造れないのだ。その主なるものは知能、体力、力にある。別の形でいうと、頭、胸、腹、この三局が充実しない限り、超念波は出ないのである。

著 力 抜 山