研究と開発

NO-75[精素学] 借 力 拳 法

現在地球上には様々な拳法があり、どれもこれも皆自分の拳法が最高だと思わぬ限り、それに充実性はない筈だ。しかしその中でも、頭のよい人は多角的に判断し、矛盾を知って、それにあきてしまうようになる。そして更にもっと革新的な拳法や、宗教を求めようとする。果たしてこの世の中にそのようなものがあるだろうか?、それは殆ど無に近いのである。何故ならば、全ての発展や革新は時代によって現れるもので1994年現時点では、その革命的素晴らしいものが現れる時で無い時代である。でもこれから先時代次元によって変還期が来れば、一大革命的な新武道やら変わった宗教が現れるのである。いやもう既にそのような兆しが見えたのである。それが一種の超能力ブームと借力なのだ。勿論、借力やら超能力はまったく地球上になかったものではないのだ。今から約300年前にもう人はやったのである。だがその後徐々に借力やら超能力は姿を消し、現在西洋文化によって科学万能時代になってしまったが、人間はこれらの科学に対し不信を抱くようになり、今、新たな超能力やら借力に興味を持つようになった。だが超能力にしても古代のやり方でなく、科学的な立場で理解し研究をしており、私が作成した借力も革新的なもので、古代のものとは全く違った方法で組み込まれたものである。つまり古代超能力は殆ど山に籠るか百日祈祷等によって成立させたものだが、今は、テレパシーでの念力、又は催眠法を取り入れて科学的な立場で研究を進めている。私の借力も古代のものと違い、あらゆる矛盾を打破し宇宙と人体とのつながりを科学的に解明し、体に取り入れたものである。古代借力のやり方では成功する人が何十万人に一人が出来るか出来ないかであった。しかし、私が作り出した借力は、どのような人でも日常生活をしながら、完璧に成功させることが出来るようになっている。そして借力は、拳法だけに局限したものでなく、借力は科学を超越したものであり、借力は常識を超えたものであり、借力は三次元を打ち破ったものであり、借力は人間を改造するものであり、借力は正に四次元を超えたものにもなるのだ。その中で一部を取り上げたのが借力拳法なのである。訓練法にも、一般的なものは、主に拳を鍛えて体を強くするものだが、借力拳法はその逆で体を強くして拳にするので、拳の使い方はあまり気にしないのである。即ち借力の差が進むにつれて拳は自然に成るのである。

著 力 抜 山