研究と開発

N0-72[精素学]くるものとゆくもの

ゆくものあれば来るものあり、上がるものあれば下がるものある。膨脹するものあれば縮小するものあり、あるものがあるということは無いものもあるということだ。自然そして全ての生物を始め、あらゆる法則にもこれだという規定はなく、それぞれの成り行きには必ず正と反がつくものだ。それらの正と反は同一性を持つので、どれが正しいのか、どれが正しくないのかその判断は大変難しいものである。そこで現在と時間が登場する。つまり現在の正は時がたつにつれて不正になり、現在不正なものでも時間がたつにつれ正になるケースがある。そのような訳で全ての判断は、現実を生かすか未来を生かすかによるものである。現在は甘いものであり、未来は苦いもので、未来を正す人は忍耐力が必要である。だといって唯の忍耐力ではあまり役に立たないもので、そこには未来を役立てる現在というものが必要となる。つまり人間は成長するに従って結婚して子をもつ。これが人間の未来像ではあるが、唯の未来像では苦がやって来る。そこで賢明な人は幼い時から、あらゆる術と学問を身につけ、どんな難関があってもそれに打ち勝つ処置と対応が出来る能力を備えるのである。ではくるものとゆくものに対しもっと詳しく述べてみよう。人々は一応お金が入ると喜ぶ、これが人間の常かも知れない。だが、くるものがあれは必ず出るものがあって、そのお金はあっという間になくなる。しかし人々は出るものをおさえ貯金をし蓄える。だが不思議にもお金がたまったと思うと、つまらない事でだまされたり、事故等によってお金が出て行くケースが多い。ではお金持ちはどうか?これも同じ事でお金があればあるほど家庭に異常が起き、さもなければ本人の体に故障が生じる。故障もなければ不幸もなく、金持ちになった人はどうか?これは現在と未来に難が分離され難が訪れるもので、本人が早死するか、子供に縁がないか、老いて倒産するか、社会のある力によって苦労するか殺されるかである。つまり大金持ちは大きな苦労が必ず来るものであり、小金持は小さいものに精神的肉体的に疲れるのである。ではお金もなければ幸せもない人はどうか?これは現実的苦労をしているので未来に対し望みがあるのだ。だが未来の為の苦労であって、未来のない苦労では一生苦労で終る率が高い。少年よ若いときもっと勉強をして未来のため努力せよ。

著 力 抜 山