研究と開発

NO-67[精素学]心を断って心を知る

心は一体何だろうか?思うも話すも心であり、やるもやらぬも心であれぱ、幸も不幸も心であり、生きるも死ぬも心が決めるものでもある。心というのは漠然たるものだが、何もかも思うまま、その心こそが人間の生であり、心こそが将来を約束するものでもあるようだ。だがその心の裏には果てなき律動があって、限りなき謎が秘められている。心これ一見単純なようであるが、その心は生死をもたらす恐ろしい存在でもある。人間付き合いでその心を知ることは年数が必要であり、その心を知る迄はお互い秘密を明かさないのである。しかし最近の人々の心はその心に深みがなく、常に浮漂して風の吹くまま、水の流れるまま心を任せ体を肥やしている。勿論これが生きる為の手段かも知れないが世の中はそんなに平坦なものではない。荒波によって浮草は岸に打ち上げられ、強風によって吹き飛ばされるのである。心に根のない人は老年期に苦労し、乱世にも生き残れないのである。ー般、人間の体が死んで埋葬されるのを死というが、実のところ死はそれだけではないのだ。即ち死には三大死があって、心の死と、細胞死と体の死があり、体が生きていても心が死んでいれば死んだものであり、心か生きていても活力が死んでいればその人は死んだものである。具体的にいえば心の死は、精神の死、記憶力の死、判断力の死、意欲の死である。これは老化現象から起こるものと環境並び遺伝から起こるものがある。細胞死には、細胞無力体、新陳代謝の不調、難病、細胞推子の弱化等である。そして体の死である。これら三大生態に死をもたらすのを死というのだ。流動心が増えるほど精神力は低下し、細胞記億もすっかり弱り、やがては体を滅ぼすことになる。ではその流動心を防ぐ方法はあるのだろうか?勿論あるが大変難しく、その原理は心を断つことである。心を断って心を知る、これには深い意味がある。その説明は大変複雑だが、簡単に説明してみる。我々の心はほとんどが遺伝が決めるもので、その遺伝心を断つことは出来ない。遺伝心は記億子に働きかけ合理化するもので、我々は常にDNAによって流動するが、その遺伝心を断って宇宙本能性の心を働かせぱ、確実に自分の心を知るのである。その方法としては、欲を断って自然に親しみ、理を学び哲を知ることによって自然と宇宙の中にとけ込むことが出来るのだ。

著 力 抜 山