研究と開発

■NO-31[精素学] 有 心 と 無 心

心があるのとないのと、心があるものとないものと、このように言えば分かりそうで分からないようであるがこれを別の形で説明すれば、意識的か無意識的か、自意的か他意的か等に相当するのである。その中でも遺伝心と記憶心が働いて現れるのを自己心と言い、環境から受けた影響で働いているのを他心と言う。現在地球上に60億という人類がいるものの、これら殆どが他心生物である。ファッションと言えば好み、人がこれが良いと言えば直ぐそれを肯定し信用してしまう。自分の力で判断し行動する人はほんの僅かである。それは言うまでもなく無意心であるからだ。自己判断の無い心、自信を忘れた心、自信の無い心、依頼心、信仰心、このような薄弱な人問が持っている心を無意心者と言う。だが無意心は有意心より強い所もある。自己判断力が無いので直ぐ他意にのり、死を恐れず損を惜しまない。このような無意心者は殆どが集団生活を好み、宗教とか団体又はグループを成し生きている人である。だが有意心者は無意心者を利用し旨く操り、お金を与えて心を奪い、物を与えて身を縛り、美を与えて意を止め、地位を与えて活動を制限する。そして自分の護衛に使い自己の身を守り敵に対抗する。だが結局、有意心者は滅びる。即ち有意心は欲から作られたと言うことだ。有意心者は何かの目的を持っており、有意心者は必ず自己保存の意を持っており皆欲の固まりであるのだ。このような思考から考案されたのが宗教であり憲法である。この世に宗教というものが必要なのか、団体というものが必要なのか、国家というものが必要なのか、これは全く必要のないものである。つまり国家も宗教もない社会的な公徳だけが必要なのである。杜会的な公徳、、お前の国自分の国が必要としない、そして人類差別のない世界、資本主義のない世界、権力のない世界、思想のない世界、階級のない世界、このような世界であれば地球上に戦争がなくなり敵味方がなくなる筈だ。、有意心者は無知者であり無意心者は有知者になるのである。有意心者は無知者に帰り、無意心者は有知者になりやすいので、有意心が有知者にはなり難いものである。無意心者は鉛筆で落書をしたようなもので消し易いけれど、マジックで落書された有意心者の脳は消し難いということだ。、へたな勉強は勉強していない人問よりも価値がないという話である。

著 力 抜 山