研究と開発

NO-280[精素学]十二次元から見た虚無

有形宇宙、無形宇宙、無形は何処までが無形で、有形は何処までが有形か。有形でも見える形と見えない形がある。エネルギーの実態は確かに有るのだが、目には写らないのが多い。更に細かいものは電子顕微鏡でも見えないのだ。全てのエネルギーにはその型があり其の種類には電気エネルギーの型、風の型、熱子の型、冷子の型、もっと深く入ると重力の型、精素型、そして磁素の型、全てのものにはそれなりの形と型が有って、そこから推子が現れ物質が出来上がるのである。光には光子の形があって推子が重力と摩擦し光が生じ波長が光波となって走るのだ。中脳にある精素も形があって推子が精電子となり神経に伝わって力となる。そしてもう一つの精電子の波長は空間に発射され、自然などに接触し未素場を作るのである。ではこのようなエネルギーでの形と型は果たして何処迄伸び続くのだろうか。ある学者言わく有形法則では無がなく宇宙はあくまでも有から有が現れたのであって、無というのはないのではないかというが、12次元から分析すると宇宙は有でもなければ無でもないのだ。己も自然も宇宙も何もかも有無法則によって物体が見えたり、触られたり、生きていられたり、するだけである。全く信じられない理屈になるのだ。宇宙は果てがない自然は無限である果たして有限無限論は科学的に有りえるだろうか。残念ながら有限無限は有りえないのである。科学は全てのものを有限的に解明しょうとする。だが分かれば分かる程無限になり、研究すればする程分からなくなるのが宇宙の仕組みである。では科学は何を知っていて何を知らないのか?実は一つも知っていないのだ。これは判らないというのが本当かも知らない。人間に対しても、木、一本にしても何一つ分かっていないのである。分かっているのは現実的な理屈だけである。それもそのはず、宇宙全てのものは無いものでもあり有るものでもあるからだ。科学が何億年かかって研究しても分からないのが当然の事である。虚無なる宇宙、虚無なる人生、虚無なる自然、全てが無のものが有のように見え、有のように思われ、有のように感触が現れるだけである。宇宙もエネルギーも虚無での有限無限法則合成物からであるからだ。宇宙も人間も無で現れ有の闇に消えるのである。そしてパワーによって現れたようになり、パワーによって無くなった様になるだけである。

著 力 抜 山