NO-270[精素学] 蔵 身 術
体を隠す術、これは並大抵な事ではない。近辺に物があれば何とかして隠す事が出来るだろうが、何もない広場では隠すことが不可能なものである。昔の道術士は、体を隠し敵陣から逃れたり、逮捕網から抜き出たりしたという。現科学では想像もつかないものである。これは実際に有った話であり、科学的にも割り出せるものだ。昔日本でも忍術と言うものが有って、敵陣深く忍び込み敵の計略を探ったりした。これも一種の蔵身術である。だが本当の蔵身術は、建物に体を隠すのでなく、奇門の方法で身を隠す秘法であった。奇門とは何か、これは六甲から計算し行術をしたものだが心理応用からする場合も多い。我々の脳の働きは全ての思考がコントロール神経での反射から発生するもので、その反射が無いときの心は全く生まれなくなり、生まれたとしても、無関心のまま通り過ぎてしまうのである。仇討ちは一本橋で会うと言う話があるように常に敵を考え仇討ちを思えば、その心の反射によって敵がやって来ると言うのだ。このような心理学を応用したのが呪文でもあり、念仏でもある。それをもっと具体化したのが念力でありテレパシーでもある。そしてもっと強烈になって現れたのが超能力であり借力である。このような反射心理が無反心理になったときその反対の無心反応が現れるのである。例えば向こうから友人がやって来るそのとき瞬間無反心に入れば相手も無関心になりこちらに気付かず通り過ぎるのである。このようなことは不意に起こる場合も多く、10年間さがした愛人もたった一瞬の違いでお互いに擦れ違ったとか、後で会ってみると1.000メートルも離れていない近所に住んでいた友人、人間社会は広くて狭いと言うことはこのことから言えるのである。心理的蔵身術は無心になることであり無心であれば旨く避ける事が出来るのだ。奇門からの蔵身術はどうか、この方法も色々あるもののその中で一番適切なのは自然を応用したものである。風の流れにそうてする蔵身術、雨雪を応用した蔵身術、人波建物を応用した蔵身術等がある。次は占術によっての蔵身術、これは自分なり占で東西南北を示し吉となった所に行くか泊まるかするものである。次は六甲法をもって行うものだが、これは甲乙東方木丙丁南方火戌巳中央土壬癸北方水等を年月日と合わせて、そこに自己の五行を入れ蔵身すると、横に居ても見えなかったり、見えても他人に思われたりするのである。
著 力 抜 山