研究と開発

NO-269[精素学] 信頼の条件

信、これは人間の常識であり、信、これ人間の義である。信なきもの人間にあらず、信なきもの実行なし。信あって価値あるものであり、信あってこそ成功なるのである。信なきもの敗退し、信なきもの破滅する。信は脳力をつくり、信は健体をつくる。信は結ばれるものであり離を防ぐ。信は深くなる程固くなり信には、 信仰、信念、信頼、信用、信僕、のものがある。信これを人間から取ってしまえば、人間そのものが無くなるのである。果たして信は人間にとってどのような影響を与えるのだろうか。先ず神に対する信仰、これは古代での信で科学が進歩していなかった昔、宇宙と自然には人間の様な神様がいて、人間を始め動物をつくりだしたと信じ、その神を裏切れば天罰が当たると信頼したのである。その後様々な宗教が現れその教祖の言い付けを神の言葉とし絶対服従したのである。野蛮人の首狩人種も、教祖又は祖先の言い分によって人間の首刈りを信仰したのである。その後人間常識が次第に発展し、首刈り信仰をやめ信念というものに移り変わった。信念これは信仰とは異なり、全てのものを心理的または理論的に理解し絶対的なものと信じ念を置いたのである。信念にもいろいろあって自身から起因する信念、道徳観念から来る信念、哲学的からの信念、 人道からの信念、思想からの信念、これらは皆知識人からの信である。 その他夫婦の信頼、師弟間の信頼、父母兄弟の信頼、友人との信頼、人間と信は切ても切れない不可欠なものである。これらの信が人間に与える影響は、その一つ精素電子のバランスの向上人間は何物かに頼りたがる動物なので信そのものを無視はできないのだ。これこそ人間の生であり自身であるからである。人は信じなくても自分は信じなければならない。人も自分も信じないこれは一生破滅であり将来はないのだ。俺がやっているのは正しいのだ、俺は何れ目的が果たされ幸福になれるのだと、信じているから生きていく楽しみがあるのであって、自分は駄目だ、自分のようなものは将来も未来も無いと思い込めば、 結局は自殺か墜落した人間になってしまうのである。そこで一言、【信は鉄壁も貫く】自身を信じていれば、何時かは理想が叶えられる時が来るのである。

著 力 抜 山