研究と開発

NO-253[精素学]精神統一法及び気合術

気合術は精神統一法が秘訣であるものの其の精神統一法にも色々あるのだ、心志主一法、心身統一法、五官統一法、気念統一法等がある。精神統一法は、全ての雑念を払い目的に向かって突進することであり、心志主一法は心の全てのものを一つにしそこに自己意志を集中させ突進して行くことである。心身統一法は心と体を一体とし体が心で心が体であるようにするのだ。心の動揺を体で止め、体の辛さを心で止めるものである。その修業法としては、熱い夏に戸を閉め部屋に閉じこもる、寒い冬に戸を開けて我慢する、日常生活を一般的反対の行動をとるものである。五感統一法は一つのものを見る時は、他のものが見えないとか、何かに熱中したとき体をつまんでも痛さをしらない等。気念統一法は、ある物を想像した時、始めから終わりまでが現実的に浮かびそのものを実感する。そのほか三大神経を応用した統一法もある。これらの統一法は気合と共使用するのである。赤ん坊が生まれて泣くのも一種の気合術に等しいものだ。胎内で出で来る時の痛さにようって自己保護での大声で泣きしのぐ術である。びっくりしたとき出る驚きの声、面白いとき大声で笑うもの、痛い時出る呻き声、これ皆気合いに等しいもので、声をだして神経を安定させたり体の緊張をほぐしたりする対策である。気合は声だけではないのだ、あるものに心の焦点が合ったとき必ずしも声をかけなくてもすむもの、そこで応用されたのが呼吸声である、声をだす変わりに呼吸声を出す仕組みである。これが借力法に多く用いられているのだ。あらゆる気合いを応用し不可思議な力を作り上げるのが精神統一法及び気合術である。気合術には色々な実験があって、借力と間違われるものがある。又気合術を借力だと思っている人もいる。だが借力と気合術の差は、力の出し方と訓練の仕方が違うのだ。気合術は力を出す時、精神統一が常に必要だが、借力は精神統一が必要ない。気合術は限られた時間と力の限度があるが、借力はそのようなことはしない。気合術は筋肉と精神の調和をするが、借力は神経と精素の調和だけである。気合術の実験には次のようなものがある。ガラスを食べる、ビール瓶のかけらの上を歩く、そのかけらに裸で寝、腹の上で大石を割る、炭火を食べる、刀の上に乗る、不死身法、腕に針を刺しバケツを持ち上げる、小型車を引く、その他約50種の種目がある。何れもその力はスポーツには応用できないのである。

著 力 抜 山