研究と開発

NO-250[精素学] 霊   術

昔から伝わっている霊術、そこには色々な名前がある。その名を一例上げると、神霊術、交霊術、心霊術、通例術、神霊術とは自己霊が全ての神に働きかけ、その神の力を得、病気、予言、幸運、安全等に働きかけるものとし、交霊術は、死んだ人の霊もしくは生きた人の魂を動かして、占いとか死者の怨念を晴らしたり又はタタリの原因を霊との交流で察知する術である。心霊術は全ての霊と自分の心が相通じ、心で支配するというものである。つまり人間の体の働きを霊として思考を心とする。そして人間は本能的なもの、或いは習慣的名もので心がゆさぶられ、酒の好きな人は酒をのまずにいられないとか、ギャンブル、色欲、全ての悪癖は皆自己霊又は他の死霊によってなるもので、それを除外しそれを打ち砕く秘法として伝わったあものである。通霊術は、人間の限界を超越したもので即ち無不通知、世の中で知らないもの無し、体は人間であっても全てが宇宙同体で、全く四次元世界で生きる存在となるものである。だがこの名目も段々消え去るのも確実である。何故ならば、自然も人間も新陳代謝の法則があるからだ。つまり古いものは去り、新しいものが到来するからである。神を信じ、霊を信じる時代はもう去りつつあるのだ。これから先は全てが科学的な要素で究明され名前が替わるのである。つまり神は自然のものであり、霊は精素にあたることになる。勿論宇宙は大空間のパワーによって現われたものであり、有形宇宙を創ったものは磁素子からである以上、磁素が神に等しい存在になるわけだ。そして全ての生物は磁素の変化物で、精素の働きで生物が現われたので、心身の根本は精素であり、精素が魂に等しいものである。これは理論と題名だけが変わったものであって、実際の奇跡根本は昔も今も同じものである。ただ鍛え方が昔と今と違うだけなのだ。借力も昔は通霊、通神と呼んだ。昔は霊術を身に付けるには、深々山中つまり犬の声、鶏の声が耳に入らない山奥に篭らない限り修得出来ないと釘を打ったのである。だがそれも段々進歩し、百日祈祷方式が現われ何処でも出来るようになった。だがこれも成効率が少なく、辛い修業に耐え切れず修道者が減ってしまい、世界中数える程になった。何れも霊術は感覚神経を応用したもので、生化神経と意識神経はあまり発達しないのである。だが中国の諸葛孔明とか韓国の姜甘贊、西山大師、泗明堂、日本の弘法大師、日連のような偉人が感覚神経と意識神経を鍛え有名になった。だが古今東西、生化神経まで鍛えた人は無かった。私が創った借力は、三大神経を全部使用したものであり、有史以来初めてのものである。

著 力 抜 山