研究と開発

NO-247[精素学]  運命の伸縮

運命はあるのだろうか。有るとすれば何処からどうゆうふうにして作られるのか。更に運命がないとしても不思議なものが多い。人間努力してやっても旨く行かないのが一杯ある。運命なんか有る筈がない、国民が貧乏して生活が苦しいのは政府のせいだ、政府がしっかりすれば個人個人幸せが来る筈だ。このようなことを言っているのが共産主義のスローガンでもある。果たして共産主義の国はどうだろうか、そこも以前として国民の生活は苦しい。勿論それぞれの理由は一杯有る、一生懸命やっても出来ないのは出来ないのであり。死んでいった人も理由があって死んだのだ。この世のなかに理由のないものは一つもない。宇宙には宇宙の運命があり、自然には自然の運命がある。運命これは設計されていない設計体である。宇宙は磁素版図が、生物は精素版図が運命を決めるのである。運命は努力を支配するが努力は運命を支配出来ない。人間現在が運命の定めであり、未来も運命の決めである。運命のなかで生き、運命の中で死んで行くのが自然の法則である以上、誰のためだとか自分のせいだとかはありえないのだ。心も運命の元でつくられるので心で運命を避けることは出来ないのだ。宇宙から生物に至るまでの全てが運命が支配していると言うことだ。地球上に戦争がなくなるのも運命、地震、旱魃、洪水、大参事等皆自然の運命の元で現われるのである。自然はそうだとしても、人間は智恵がある以上、不幸を幸にすることも出来る筈だとおもっているのが学者等である。 勿論考えれば可能性が有りそうだ。だが結果的には、運命の支配の元で心が動き運命の成り行きになるのである。運はものが作られる元素でもあり全てが元素化学作用で変化して行くので現実どうしょうもないのだ。宇宙の元素で宇宙の運命が決まり、生命元素で生物の運命が決まるのだ。そこには体格、体質、遺伝、等のによって、素質、性格、趣味、利口、鈍感、早死、長生き等がつくられる訳だ。如何に健康であっても早死の運であれば避けられないのであり、良いと思っても実行が出来なくなるのだ、又は偶然的な邪魔が入り遂行ができなくなるのである。だが運は不思議なもので、運があれば必ずチャンスが訪れるのでありこれを縁とも呼ぶ。縁、は運命の賜物でもあるのだ。運命の伸縮は早いか遅いかの差だけで、運命にあるのは必ず果たされるのだ。つまり運命の伸縮というのは決められだ運命は必ず訪れるものの、早いか遅いかの差を運命の伸縮というのである。

著 力 抜 山