研究と開発

NO-243[精素学]生 命 と 運 動

生命は動くものであり、生命は動力でもある。果たして動く原理は何処に或るのか、勿論、機械は燃料あるいは電気で動くのだが生命は違うのだ。モーター等は燃料と電気だけでも十分に動くのであり、蒸気機関車は電気が無くても動く、だが車や飛行機等は燃料だけでは飛べない。そこには必ず電気の力が加わって飛ぶのである。これと同様、生命体も栄養だけでは動けないのだ。そこには必ず電気的なものが働いてこそ活動が出来るのである。では、生命体と機械との違う点を説明する。機械は始動しない時は熱を持たないのだが、動物は常に体温がない限り活動は出来ないのである。このあたりが機械と動物と異なる点なのだ。では、何故生命は一定の体温が必要だろうか。その理由は次のようなものがある。機械は死動体で有り、生物は生動体であると言うことだ。死動体は他力運動体であり、生動体は自力運動体なのだ。もっと詳しく言えば、死動体は単力運動体で有り、生動体は復力運動体になるわけだ。我々の体は細胞運動体と精素運動体があり、二つの生き物がお互いに助けあって活動しているのである。細胞一粒一粒は一つの生命体で各自の生き方をしているのだがそれらの細胞にも雄雌のものがあって、お互いの刺激反応をなし大家族制となっているのだ。物質でも金質は金質同士集まり、銅質は銅質同士集まるように、我々の体でも足の細胞と頭の細胞が異なり内部細胞と外部細胞が違うのである。牛肉の味が部所によって異なるのもその一例である。人間は言うまでもなく一つ一つの細胞が生きるために結集したもので、それぞれ長い時間自然と斗かいながら、あらゆる知恵を絞り神経を造って、お互いの情報を確実にし、細胞等が悪条件から生きる手段として各器官を造り生命を維持したのである。そこで考え出したのが脳である。とにかく各細胞の働きに対しその速やかな情報と、故障した時はすぐ修復しなければならないので三大神経を造り出した、そして細胞達の力だけでは十分な活動と十分な力が出せないので考え出したのが中脳電源である。脳での充電装置の働きには磁素電子が充電され精素となり、その精素は神経を流れ細胞推子と摩擦し、熱子を出すのである。その熱子は細胞に含んでいる栄養を燃やし、その爆発の力を得て力と運動を果たすのである。その細胞活動の中心部は心臓であり、脳の活動中心部は中脳に当たるのだ。脳死が人間の全体死となるのであるだ。

著 力 抜 山