研究と開発

NO-221[精素学]生きた電子と粒子

生物と死物、生きたものと死んだもの、何が生き物であって何が死んだものなのか。動けるものは生であり動けないものは死んだと、きめ付けるのが現次元の常識である。だがこれを電子学的に解明すると、この世の中に何一つ死んだものはない。例え石ころでもちゃんと生きているものになる。動くものは生きたものであって、動けないものは死んだものと言うには又その謎がある。我々が見る限り、動かないものがちゃんと子孫を増やしているものも一杯有る。カビ、茸、苔、珊瑚その他にも数知れないものがある。これら動けない物体がどうして生きていられるのか。それは言うまでもなく電子の働きである。電子も色々有って、主なものは陰陽電子と磁素電子、そして宇宙電子である。この三大電子は、何れも完全に生きている電子なのだ。◯空間宇宙を作ったのが宇因二者であり、有形宇宙を作ったのが磁素電子であり、全ての物体を作ったのが陰陽になる訳だ。これらの影響を受けているものは皆生きているものである。唯動いているか、動いていないかの差でけだ。動いている動いていないは粒子のことだけで、粒子を繋いでいる電子は、強烈に動いており、そして粒子と粒子を固めているのだ。万一この推子が停止したときは、その粒子はバラバラになって粉になり、もっと分解すると今度は液体になる、現在中東地区で石油が多く出るのは植物粒子又は動物の粒子が分解したものである。海も水も同じもので、鉱石が分解して出来たものである。とにかく推子が無くなれば全てが水になり、その水が分解して空気になり、空気が分解して電子に変わる。そのようなわけで粒子は皆電子の固まりである。我々が考える思う意識をする、このようなものは人間だけでなく、石ころにしろ、苔にしろ全ての粒子も意識があるのだ。唯人間と、動物と植物と鉱物との意識の%だけである。唯人間は口があり、手足があって行動するから生きているのを完全に見分けがつくが、石等はじっとしているから、我々の意識では知ることが出来ない。だがそのような石ころも、人間の何万分の一位はちゃんと話をしているのである。世間で言う祟りと言うのは、そのものの粒子に推子と自然電子との交流から起こるものである。とにかく全てのものは生きているものであって、死んだものではない。そのような訳で我々の精素電子をそのものの物体に交流させることが出来れば、石を転がすことも出来、そして風を呼ぶことも出来るのだ。これを四次元の不思議でもある。

著 力 抜 山