研究と開発

NO-220[精素学] 高低次元の死

一生一死、一回生まれたものは必ず死に。一現一滅、一回現れたものは必ず消える。だがパワー法則ではこれと異なる。有生然生、一つの生命体は自然の生命体で、自然が滅びるまでは永遠に続き、一生一律、生命体は一つのものであって、二者では無いと言うことだ。パワー法則では、人間が死んでも死んでいないことになり、動物も草木も全ての生きものは、別々なものでなく一つのものであると言うことだ。我々が思っている自分というのは、脳の働きが鈍いので相手のものに共感しないからである。相手が痛いのを感じれば自分も痛さを感じ、相手が楽しければ自分も楽しくなるのが共感である。このようなことは夫婦間にもあるのだ。高次元神経はナイフで傷を付けても、痛みが全く感じないようになっている。何故ならば我々人間は全てが有線神経で構成されており、四次元人間は無線神経で繋がっているからだ。有線神経は発信元と受信体が一つの線で繋がれており、無線神経は発信元と受信体が無線波で結ばれているのである。一つ一つの細胞が独立した形で構成されているのだ。そして細胞全てが独立的な働きで生きているのである。高次元の人は仮に心臓を取っても死なないのである。全ての細胞体が独立生命体であるのだ、例え首を切っても平気で生きることが出来るのである。現次元では信じられないものばかりだ。そのような例は木にもあり、ポプラの木は枝を切って植えても生き、根を切って植えても生きる。これは言うまでもなく生命源が一箇所にあるのでなく細胞にあるからである。そのような訳で高次元体での生物は、体と心が一つの働きをし、死ぬということはない。死ぬのは古くなった着物を捨てるくらいなもので、自分というものは永遠にあるということだ。全てが死んでも死んでいないと言うことになる。パワーの法則は現次元では想像もつかないものだ、生物次元の差は神経の差にある。高次元人間は死んでもその記憶が永久に残るのだが、現次元では残らない。だが実は現次元でも高次元と同じく、自分は死んでも死んでいないのだが、脳が反応しないので死んだと思うのである。

著 力 抜 山