研究と開発

NO-214[精素学] 無 然 宇 宙

有然無然、全てのものは存在しているのか、それとも存在していないのか、有限無限、全てのものに限りがあるのか無いのか、あらゆるものの存在は確かに有限のようであるが、別の角度からみれば無限にも思われる。ではここで無然宇宙に対して述べてみよう。宇宙を始め全ての生物がこの世に生まれたくて生まれたのではない、唯の反応で現れ反応で消えるだけのものである。無然は有然の基で其の奥は無有の謎なのだ。別の形でいえば、生者から見た観念と、無者からの観念が異なるのだ。生きている人間はこの世に生まれて宇宙がどうのこうのと語るのだが、この世に生まれていない者は何も語らない無然のものに過ぎないのだ。自ずから知っている現実を有限とし、知っていないところを無限とする。無然は無限に繋がり有然は有限に繋がる。分からないのは無限になり無然に繋がる。分かるのが科学であり、分からないの無然である。流然と静然、偶然と必然、人間の力ではどうしょうもないものには、然と言う字を付けたのだ。物が流れて然になり然が流れて自然になる。四次元が流れて五次元の然になり、五次元が流れて六次元の然になる、 然は謎の無に近いものであり、然は想像の闇であり無始無終に等しいものになるのだ。そして作られた言葉も、然々知らないものになった。知っても語らないのは無知であり、知って実行しないのも無知であって有知ではない。 無情と無念、無心と無関、無駄と無視、無学と無生、これらは皆永久でない非永久である。反応刺激で生き無反応刺激で死ぬ、無律で争い、無法で滅びる。無意味の人生、お金の一生、お金で死滅、これ皆無味無情で、権力も名誉も死によって虚無になってしまい永遠は有り得ないのだ。果たして宇宙は必要なのか、宇宙が有るゆえに我々は苦労をし、宇宙が無かったら苦労も無いはずであり宇宙も永遠に続くものではない。無然からの人間宇宙も然で生き然で消える。だがその然を無視し自己満足のため人を傷つけ自分も滅びる。然は飽くまでも流れであって自作ではない。宇宙も人間も全てが作ったものでなく、然で現われただけのものである。宇宙から自然まで全てが現われたくて現れたものではないのだ。皆無然から出て、無然に消えるだけなのである。これが無然法則だ。、何の目的も無しに只漠然とした自然のなり行きによって現われ、自然の成り行きで死んでゆくのである。だが無然生物を四次元で観察すれば、生きものは皆同一なる生命体にすぎないのだ。三次元から判断して、世には自分一人だけであり、自分以外は他に無いのだと思っている。犬にしろ豚にしろ各々自分だけが唯一なる存在だと思っているのである。

著 力 抜 山