研究と開発

NO-177[精素学] 無 然 生 物

地球上に生命を持っている生きものの数は想像もつかないものだが今でも海の中では新しい生命体が次々と現われているのは確かである。これは海の中だけでなく、森林でも、土の中、人間並び動物の体でも増えているのだ。黴菌も一つの生命体である以上、その実態を無視はできない。宇宙全体に生物がどれ程いるのだろうか、いや生物はこの地球しかいないと思う学者もいるが、果たしてそうだろうか人間と動植物とは何処が違うのだろうか。細菌も自分が生きていくために人間の内臓を食べ、動物も生きるために弱いものを捕って食べている。植物が地球上に現われたのは、動物に食べられるためではない。自然の法則で現われ、生き延び子孫を増やそうとする。だが食い荒らされる、そこで彼等は根をしっかり張って芽を出し伸び始める。蝉は幼虫で7年間も池の中で生き続け、ある年の秋一斉に成虫となり泣き声を出しそして死んで行く。ミミズは土の中で育ち地上に這い上がって人に踏まれて死ぬ、鳥に食べられ蟻に食べられ悲惨にもなる。これは動物だけでなく、人間も結婚し家庭を設けて働かなければならない。やがて子が生まれ,その子を育て、死んで行くではないか,これは誰かが教えたのでもなければ教わったものでもない。只自然からの無然法則の成り行きである。無然生物、つまり全ての生きものは皆、何の目的も無しに只漠然とした自然のなり行きによって現われ、自然の成り行きで死んでゆくのである。だが無然生物を四次元で観察すれば、生きものは皆同一なる生命体にすぎないのだ。三次元から判断して、世には自分一人だけであり、自分以外は他に無いのだと思っている。犬にしろ豚にしろ各々自分だけが唯一なる存在だと思っているのである、だがこれを無然法則での判断では、特別なる自分他人という意味は無いのだ。自分は人間に生まれてよかった、自分は日本人に生まれてよかった、自分は死ななくてよかった、自分はお金持ちの子に生まれてよかった、これは三次元の思考であって、四次元の無然生物観から見たときは皆同一なる存在になるのだ。人に踏まれて死んでゆく蟻も、鳥の餌になるミミズも、人に食われる魚も、人間の食料になる生物全てが、無然法則から来る同一生命体だと言うことである。即,自分が自分を食べ、貴方が貴方を食べて生きているにすぎない、無然生物での生きものその形は違うけれど、生命体の根本は飽くまでも同一なものである。愚かな三次元人間は四次元から見た無然生物の法則に気付かないのである。無然に現われ,無然に死んでゆき,無然で結合し,無然に別れ,無然に現われ無然で消え逝く宇宙,過去も未来も無然で終わる無然さ,宇宙を初めあらゆる生物に至るまで唯無然で生き無然で消えて逝くだけである。

著 力 抜 山