研究と開発

NO-176[精素学] 生命と運動

生命体は動くものである以上,動力体でもある。動力体つまり動く力。はたしてこれらの動く原理は何処からくるのか?勿論、機械は燃料あるいは電気で動くのだが、生命体は違うのだ,モーター等は燃料と電気だけでも十分に動くのであり、車や飛行機等は燃料だけでは飛べない。生命体も栄養だけでは動けないのだ。そこには必ず電気的なものが働いてこそ活動が出来るのである。そこで、生命体と機械との違う点は熱である。機械は始動しない時は熱を持たないのだが、動物は常に体温がない限り活動は不可能なのである。このあたりが機械と動物と異なる点なのだ。では、何故生命は一定の体温が必要だろうか。その理由は次のようなものがある。つまり機械は死動体であり、生命は生動体であるからだ。死動体は他力運動体であり、生動体は自力運動体なのである。これをもっと詳しく言えば、死動体は単力運動体であり、生物は復力運動体になるわけだ。これらの復力運動体 には二つの活動体が協力して動いていることになる。我々の体でいえば細胞運動体、そして精素運動体になるのだ。人間の体ででも二つの生き物がお互いに助けあって活動しているのである。細胞の一粒一粒は一つの生命体で各自,各々の生き方をしているので。それらの細胞にも雄,雌のものがあり、お互いの刺激反応をなし大家族制をつくっているのである。物質でも金質は金質同士集まり、銅質は銅質同士集まるように、我々の体でも足の細胞と頭の細胞が異なり内部細胞と外部細胞が違うのである。牛肉の味が部分的に異なるのもその一例である。我々人間はいうまでもなく一つ一つの細胞が生きるため結集したもので、それぞれが長い時間自然と斗かいながら、あらゆる知恵を絞り神経を造って、お互いの情報を確実にし、自分らの悪条件から耐え忍ぶ手段として各器官を造り生命を維持したのである。そこで考え出したのが脳である。とにかく各細胞の働きに対しその速やかな情報と、故障した時は素早く修復しなければならないので三大神経を造り出したのである、細胞達の力だけでは十分な活動と十分な力が出せないので考え出したのが中脳である。脳での充電装置の働きによって、磁素電子が充電され精素となり、その精素電子は神経に流れ細胞推子と摩擦し、熱子を出すのである。その熱子は細胞に含んでいる栄養を燃やし、爆発の力を得て力と運動をはたすのである。その細胞活動の中心部は心臓であり、脳の活動中心部は中脳になるのである。脳死が人間の全体死になる訳だ。

著 力 抜 山