研究と開発

NO-173[精素学]  陰 と 陽

宇宙全てのものは陰と陽で成立し、自然全てのものは両極から発展してきた、そして全ての生命体これ皆、雄雌の原理で造られている。陰と陽、NとS、陽子と陰子、冷と熱、拡張と縮小、推力と引力、明と暗、全てのものに極があって運動をなし、そしてそれぞれの相対性と極対性で交差しているのだ。陽と陽、陰と陰がぶつかった地点を極対性といい、陰と陽が交差するのを相対性という。そして陰と陽が衝突した地点を破対性というのだ。極対性と言うのは、強者と強者との対立、弱者と弱者との対立で成立をなし、相対性は強者と弱者がお互いに共同的活動をなして調和をすることである。そして中極性は、強者、又は同一力でものを構成させるものである。陽と陰で交流している力を有然パワーといい、陰と陰、陽と陽の力を無然パワーと言う。有然パワーは他力パワーであり、無然パワーは自力パワーである。つまり他力パワーは自分のエネルギーと、他のエネルギーがミックスして起こるものであり、自力パワーは自体のエネルギーが内部又は外部の影響で変化を起こすことである。即、有然パワーは全ての電子の働きで起こり、無然パワーは磁電の働きで起こるのだ。火薬などを風船の中に入れて、刺激を与えると爆発する、これを有然パワーといい。水を風船の中にいれて熱を加えると拡張し破裂する、これを無然パワーという。宇宙も生物も、有然と有然の力、無然と無然との力、有然無然の力で構成されるのだ。陽と陰にも陽性と陰性があって、陰陽陽性は熱と光であり、陰陽陰性は重力磁力である。陰陽陽性と陰陽陰性は必然なもので、切っても切れない自然法則である。我々の体で比較すると陽は体であり、陰は心である。そして陰陽陽性は記憶子であり、陰陽陰性は遺伝子である。このような陰陽は飽くまでも同一のもので全く別なものではない。だが同一のものであるが、全く別なものでもある。自然の法則は飽くまで正確と言うものはないものの、これが正しいと思えば更に矛盾が現われ、全く矛盾だと思っても正確さが現われるのだ。宇宙の存在は全く三次元の要素では考えられないのである。個人個人の理解によって、正が悪にもなり、悪が正にもなるのだ。そしてその正悪は、時代の流れと権力の中で決まるのである。法も時代の流れと権力で変わり、正義も流れと権力によって異なってしまう。してみると人間の幸、不幸も皆自分が理解するところに有るといえる。全てのものが極に至ると、皆同じものになってしまうものである。だがその極はかえって又極対性となって対立し、又陰と陽に別れる。宇宙も人間も三対性、つまり陰対陽、極対極、有対無の方式でお互いに発展、生育、死滅するのだ。

著 力 抜 山