研究と開発

NO-169[精素学] 然然と宇宙

然然たる宇宙、然然たる自然、然然からの生物と宇宙。全てのものは然からなり、然から消えていく。然には意味もなければ結論もない。然は有でもなければ無でもない。宇宙から生命まで、然と然のなかで現われ、消えて行くだけだ。即,宇宙は膨張するのでもなければ縮小するものでもない。唯, 然の中で流動するだけなのだ。然は科学でもなければ理でもない。然,即、無意味での起用物なのである。人間だれしも人間になりたくて生まれたものではない。唯,然から現われ、漠然と生きており漠然と対立しているだけなのだ。宇宙万物全てのものに意味があるのでなく、何もない無意味から欲し、無意味から右往左往しているだけだ。全く無意味な存在、これが宇宙であり人生である。生きる、死ぬ、これ全てが無意味なものである。人間が知恵が有ったとしても限界があり、科学が進歩しても限界がある。大きく考えても果てがなく、小さく考えても果てがない。何処までが博士で、何処までが哲学者なのか、全く見当もつかないものである。分かるのが幸せなのか、分からないのが、幸せなのか、全くそのものがあいまいなのだ。お金が有っても幸せを知らないものはいつだって不幸であり、お金が無くても幸せを感じれば幸せであり、生きるのも不幸だと思えば不幸であり、死ぬのが幸せだと思えば幸せになるのだ。不幸も心からだと言えるが、心無きものが幸せなのか、心あるものが幸せなのか、その限界が全く予測もつかないものだ。勉強をして偉くなったのが幸せなのか、全く勉強もしない山族が幸せなのか、全てが分かるのが幸せなのか、何も知らないのが幸せなのか、その限界もない。宇宙は意味があるのか、無いのか、その道は迷宮であり漠然である。自然は唯の然であり、宇宙は唯の宇宙である。人間これ唯の動物であり、動物これ唯の生きものである。漠然とした然と然、分かっても分からなくても無意味なもの、生きても死んでも無意味なもの。無意味なる自然。無意味なる宇宙。無意味なる人間。 全ては無意味なる然然だ。意味なき戦争,意味なき恨み,森羅万象全てが結果的には無意味で終わるのである,億万長者でも一日100Kg200Kgも食べるものでもなければ,200年も300年も生きるものでもないのだ,全てが今だけであり,全てがこの時間だけである。汝,この時間を大切に。

著 力 抜 山