研究と開発

NO-164[精素学]乱れた学者と乱れない白紙

学問あって人間であり、人間であって学問がある。動物と人間の差は識見であり思想である。人間は古代から子孫に知識を伝え、技術を残した。そして進歩は著しく発展し現在までに至ったのである。 だが知能は逆転し、真は乱れ、正は落ち、情は去り、愛は欲に変化、全く人間の味のない枯れた世界と化した。人間は学習から知識を得たのであって,もともとから学問があったのではないのだ。空白時代即ち脳の中には欲もなければ嫉妬もない時点、憎悪も誇りもなかったその時代であったが、特殊な学習によって、今の人間模様になったのである。 そこで人間は知恵が発達するに従って、脳の働きが、がらっと変わり黄金万能的な時代となってしまい、人権を金で買い、位も金で買うことになった。お金なしては暮らして行けない時代無銭では愛も幸も得られない時代になってしまったのである。これに反発した連中は反旗を上げ対抗した。だが、それもやはり成功ならずして時代の流れは変わらなかった。そして学問は奴隷化し、指導者は偽善者になり、情は欲に、愛は利己主義に走ってしまったのである。このように乱れた脳と、乱れた学者があるかぎり、地球に平和はありえない。1999年までは人類が滅亡するとノストラダムスが予言したのも、その一理から出たものであろう。人類が滅亡するということは地球上全人類が滅びるのでなく、乱れた学者が地球上から姿を消すという意味なのである。地球はもう中盤期に入っているので、そろそろ人類改革の時代になりつつあるのだ。だといって天変地異での地震と洪水で悪者を滅ぼすことは出来ない。では原子爆弾であろうか 、実はそれでもないであろう。 宇宙 心理、即、我々人間の心の全ては宇宙心理を形どったものであるもので、悪も善も共に殺すようなことはしない。1999年迄は確実に乱れた学者、乱れた権力者が消えていくのである。そして乱れない白紙の人間が共存して暮らす時代がやってくるのは間違いない。地球上で恐竜が姿を消すようになったのも唯の偶然ではない。あの大型恐竜が今まで生き続けたとしたら地球上の全ては破滅に追われたであろう。自然は無心ではない、必ず悪条件を払い白紙的な条件に戻すのである。

著 力 抜 山