研究と開発

NO-136[精素学]  生命と自分

生命とは何か、生命の謎、生命の不思議、生命の実態実、なんとなく分かりそうで分からないのが生命であり、自分という存在が生命なのか、生命あるもの皆自分というものを認識し、全てを自分自身から対象する。だが自分というものがどうしてあるのか。自分は現世代だけなのか、それとも自分は死んだ後も永遠にいるのか?宗教では永久たる生命、自分は死んでも永遠に生きており、現在より死んで極楽にて永遠に幸せになるというが、これを信じてもよいのか、死んでから生き帰った人もいるが、その人々が語っている死後の生命説はあっているだろうか。1993年現科学では解明し難い問題である。では精素学的に生命と自分に対し述べてみよう。生命の生は動であり、命は意志である。即ち生命は自分の意志で動く物体である。自分の意志で動く、これは飽くまでも自電と他電の衝突で行動が決まる。単独たる自分意志は有り得ない。生命を持っている全てのものは、自質と他質で動いており、自分の意織は五官から記憶されたものだけだけだ。我々が生まれ幼二才頃迄は記憶は無い。二才位では記憶能力が弱いので、遺伝記憶で行動するのである。そして三才以上になれば、だんだん脳に記憶されて自分というものを認識するようになる。このような形で現れる自分というのは、過去も未来もない現在だけである。有限の法則によって過去も未来も実は、現在でつくられるもので、生命での自分というものは、過去もあって未来にもあり、現在も自分は有限体でもあり、無限体でもある訳だ。自分はいつまでも自分であり、全てが自分を中心とした他人であり、他人から始まった自分なのである。自分というのは陰陽、男女、老少、人間、動物、全てのものと同一的なもの。即ち自分というのは自分を認識してからあるものであって、生物の体形だとか、地球人、宇宙人との区別は関係が無い。50億もある地球人全てが自分だけなのだ。つまり、数は50億でも自分は一つだけである。そこで現在あなたが考えているように、他人も考えており、自分が惨めだと思うのは自分の体であって、自分ではない。自分というのは体と生命とは全く関係のない存在なのだ。自分というのは常に存在するもの、三次元では全く考えられないのである。自分というのは他人からのものではない。自分というのは唯一つのみである。自分これこそ生命であり、意識不明の時は自分というのを認識出来ないのである。男性精子の6億のうち一匹が子宮に入って人間になっても残りは、皆死んでいないのである。死んだのは個々の精子であって、自分というのは死んでいない。戦場で数万人が死んでも自分というのは死んでいない。あなたは無であり、非無でもあり、女性でもあれば、男性でもあるのが自分なのだ。

著 力 抜 山