研究と開発

NO-119[精素学]罪 と 良 心

罪というのは何を意味し、良心は何処までが良心か?罪を侵して地獄へ行き牢獄へ行く。果たして罪人が地獄へ、または牢獄へ行って良心的に罪を認め深く反省をするものだろうか?人を殺したのは相手が悪かったからだ、泥棒したのも強盗をしたのもみな政治が悪いんだ。政治家も嘘をつき泥棒をしており、一流権力者も弱い者をいじめ強盗をしている。自分は運が悪くて捕まっただけだ。自分は権力がないので泥棒になり、自分はお金が無かったので牢に人ったのだ。世の中は、罪から罪へ、泥棒から泥棒へと、連鎖闘争なのである。果たして世の中に罪を犯さない者、良心的な人物がいるだろうか?そのような人はー人としていないのだ。あの人は善人だ、あの人は良心的な人だ、あの人は地獄行きだ、あの人は天国行きだと皆はいっている。しかしそのような天国地獄説はどうか?罪を持っている人でも、ばれなかったので良心的だとか、表に出さなかったので善人にとどまっているだけなのだ。それら良心と善入はあるとき突然変異を起こし、根本心理が浮上することがある。何故そのようなことが起こるのだろうか?それはいうまでもなく自分が生き延びるためであり、生きるため食べなければならない。生きるため場所が必要であり、生きるため女と男が必要であり、生きるため子孫繁栄が必要であるからであり、生きるためお金が欲しい、生きるため権力が欲しい、生きるため楽したい、とにかく人間生きるため罪を犯し、生きるため良心を隠さない限り世の中に生という命を全う出来ないからである。悪があってこそ善があり、苦を知ってこそ幸福を知り、罪があってこそ良心があるように、罪と良心は心の発展から起因するもので、罪とか悪は社会進化に大きな貢献ぶつてもあるのだ。とにかく罪というのはある一つのものからの罪であって、大きな意味では罪はないのである。政治が充分であれば刑務所に行く必要もなければ、社会が充実であれば罪を犯す人もない筈だ。世界が安定していれば戦争もいらなくなるのだ。政治は人間に罪を犯させ、権力は人間の良心を奪うものであり、物質は良心を破るものであり、知恵は善を乱すものである。以上述べたように、入間、誰一人として罪を犯さない人はないのである。罪を犯さずば死を招くものであり、良心を重んじれば一生苦労するものである。ある人は罪があって人間に生まれたという。蛇は罪があって蛇になったのでなく蛇は罪が無いから蛇になったかも知れない。

著 力 抜 山