研究と開発

NO-118[精素学]絶対的なものはない

この世には不思議なものが多い。鋭い計算力の持ち主とか奇弁の旨い人、神技のような技術士、思いもつかない知略の持ち主、人間能力を遥かに越えた人、そして借力の深い秘法、現実開発されるコンピユー夕ーの性能、これらの全てが完全無欠たるものであろうか?米ソは核兵器を作り、その進歩は絶対的なものとなったが果たして使用法から保存までが極めて安全であり、その戦略も完壁に近い計算をなしているのだろうか。核兵器にしても自分単独で行動は出来ない、それを動かすのは入間になる筈だ。核の発射計算は全てコンピュー夕ーがするものであるものの、コソピュー夕ーはあくまでも電源を元にしたものでありその電源は狂う条件を一杯持っている。そしてもう一つ、その核弾頭についているコンピュー夕ーが何等かの形で作動しなかったりまたは狂った判断をしないとは限らない。例えぱアメリカからソ連へ向けて発射したのか途中で落ちる可能性もあれば、東京の上空で破裂しないという保障もない。現在スぺースシャトルが宇宙を往来しながら色々な実験をしている、しかしこれらも完全無欠な航行が可能だろうか?何れは大惨事となり犠牲を払わなければならない時も来るのだ。現実、我々の地球は常に同じ時間帯または同じ軌道を回り時計よりもっと正確さを持っているものの。何れは地軸の変動で回転が狂い東から昇った太陽は西から昇ることもあり、24時間で一回転したのが30時間になるとか、とにかくその変動は様々なものになって現れるのである。世の中に絶対的だというのはあり得ないのだ。だが絶対的なものから外れたのが絶対的なものであるかも知れない。それもその筈、宇宙は正と反で構成されており、あるものとないもので成立したものである以上一つの絶対的なものでは何も成立出来ないからである。よい条件の中には必ず悪い条件がついて来るのであり、幸せは不幸が付き、権力は敵が付き、名誉には苦悩が付き、美人には悪魔が付き、力には危険が付き、利口には裏切りが付き、お金には悪心が付くのである。これを見ても核兵器があるから安全だとか知恵があるから安全だとかはあり得ないのである。正は反を呼び、悪は滅を呼び、雑念は無力を、欲は馬鹿を造り、執念は難を呼び、発展は争いを呼び、平和は心病を造るのである。

著 力 抜 山