研究と開発

NO-114[精素学]外 念 と 内 念

心と念、思考と念、人間はこれらの念によって進歩し発展をなすのである。勿論、各々の念は心から出るものではあるが、心そのものではない。心というのはただの浮上物でそこに念はこもっていないのだ。念というのは記憶子の結晶体であり心の中での独立した別体である。念の要素には遺伝念、記憶念がある。遺伝念は祖先の念から造られるものであり、記憶念は思想と体験から造られるのである。別の形でいえば遺伝念は祖先の執念または怨念によってつくられ覚素反応を起こした遺伝の結晶体である。そしてある一定の子孫に伝わって反応するのである。記憶念は五官から入った情報と、あらゆる体験想像によるものが結晶し、一つの念というのが造られるのである。例えば人間が最初つき合った時点では念はない、ただ心と心が行き来してお互いに情をかわすだけだが、これらのつき合いが重なれば心の中で一つの念体が造られ、心以外の深いものを感じるようになる。これが一種の念の働きである。そしてその念には外念と内念が出来、外念は体の外側に発射し、内念は体内で作用するのである。では体の中ではどのような働きをするのだろうか?これを大別すると、健康と寿命、神経と、骨質等に働きかけるのである。外念は視力線を通じての透視力、音波に通じての遠聴力、推子波長に通じての物質の感度、高度になれば陰陽の感知、次元の感知が出来るのである。念力とか超能力は外念の働きが大きく左右されるのだ。念には、信念、執念、念力等があるものの、これらは外念と内念の結合からなるのだ。勿論、外念も内念もその根本原理は精素体であり内念エネルギーはマイナス体で、外念エネルギーはプラス体で光子、熱子、電子、音子、等に反応し熱のコントロール、力のコントロール、健康のコントロール、記憶のコン卜ロール、心のコントロール、そして体の全般的なものを働かすことが出来るのだ。但し外功と内功とは異なる。外功と内功は一種の精神的なものを意味するのだが、外念、内念は直接精素電子を意味するものであり念は心外での独立したものであるからだ。心はマイナスであり、精神はプラスであれば、念は中性に属するものでもある。

著 力 抜 山