●修行方法について
「右脳を鍛えると、いろいろ分かるようになるが、何も出来ない。昔の人は、右脳を鍛えて、いろいろ知り、体を鍛えて物事を解決した。古代借力訓練は、右脳を鍛えて、中脳に働きかけて、中脳で力を作り、物事を解決した(空海、日蓮、諸葛孔明などは、右脳がものすごく発達していた)。力抜山流借力は、いきなり中脳を働かせてあらゆることをやる。」
(解説・極論)
東西を問わず、修行をする為には、山に篭ったり、禁欲したり、瞑想するが、その意味は、右脳が、外部との刺激をたった時に反応しやすい為である。山に篭ったり、禁欲したりするのは、物理的に刺激を断つ方法であり、瞑想は、感覚を意識の力で遮断する。現在では、フローテーションタンクの様に、物理的に刺激を遮断する装置が開発されている。しかし、外部と刺激を断っても、右脳と反応する人と、しない人がるが、これは、右脳と反応するには、反応するだけの強力な電子を中脳から発射しないと反応できない。中脳からの電子が、どのくらい強力かで、右脳の脳力が決まるが、それは、生まれつきの要素(具体的に言うと、生態細胞の数と配列)によるのである。
昔の修行者は、山篭りなどをしたが、成功した人はほとんどいないのである。たまたま、素質があった人も、右脳反応で、数々の謎を解明したが、分かっただけで、現実になにもできなかったのである。さらに、研究し、右脳反応で、独自の訓練法などをあみ出し、鍛えて、中脳に働きかけるコツを自分で体得したひとのみが、奇跡を起こしたりしたのである。(そのほとんどが、独自の呼吸法らしい。)
力抜山流借力は、呼吸法をはじめ、すべての訓練が、神経を刺激し中脳を働かせて鍛えるようになっているのである。
(参考)瞑想補助器具について
瞑想を行う人などは、瞑想中に得たアイデアを元に、中脳に影響する器具などを開発して、諸問題の解決に使用している人も多い。効果は、個人差が多く、絶対的な器具と言うのはない。