N0-90[精素学] 公平なる法則
我々が住んでいる社会は不公平なのだろうか?公平、不公平は何を基準にしたのか?ある人はお金持ちで、ある人は貧乏である。ある人は権力にて欲しいままにし、ある人は欲しくても我慢しなければならない。一体これが公平なのか?世の中は矛盾だらけで不公平である。お金さえあれば何でも出来る資本主義。智恵のあるものに智恵のないものは利用されるだけであり、お金のあるものにお金のないものは服従しなければならない。権力のないものは権力のあるものに従わなければならず、お金があってこそお金を稼ぐことが出来、利口であってこそ商売も出来る。お金のないものは一生かけても富にはなれず、正直な人間は一生人に利用されるばかりだ。この先、何百年後にはお金持ちの金族と、お金のない貧族と完全に分かれ、貧族は代々孫々、有金者の奴隷になり、原始の貴族社会が訪れる。これを懸念して立ち上がったのが共産主義である。では共産主義の実態はどうか?無商没収、無商放売、有能有結、つまり政府が土地を没収し労働能力のあるものに与える。努力するものにはそれなりの地位を与える。しかし結局は費本主義と同じで違うのはお金か頭かである。つまり資本主義では頭がなくてもお金さえあれば一生楽が出来、共産主義ではお金がなくても頭さえよければ一生楽が得られるのだ。両者は人間にとって全く住み難い存在である。では何故このような矛盾だらけの社会がつくられたのか?これらは公平なる法則から現れたのであり、資本主義に対し共産主義がなかったなら、世界は奴隷制度になり、共産主義に対し資本主義がなったなら永遠に自由はなくなるのである。二つのものが対立してこそ人間が生きる権利を持つようになり、平和なる自由の道がやってくるのだ。全ては進歩と発展のもとで、一段一段と公平なる道が開かれていくため対立をさせて発展していくのである。発展には極対性と相対性がある。つまり平和は相対性からなり、戦争は極対性からなるのである。極対性相対性があってこそ人間の生きる道が開かれ自由社会が得られるのである。宇宙も完全な宇宙になるまでは複雑な道をたどったが、段々発展と共に完全な宇宙となったのである。人間社会もこれと同様で複雑から進歩していくために対立と戦争が続くのである。とにかく宇宙も自然も公平な法則から出来たので、人間社会も公平が訪れるのは間違いないのだ。
著 力 抜 山