研究と開発

N0-89[精素学]    安全と不全

生きものは自己安全を計り、防衛色やら保護器具等を身につけている。其の反面防衛策の無い生きものは五感作用が鋭く、目で遠方の獲物を捕え敵を探り、コウモリは聴覚で自衛を果たし、 蜂は臭覚で遠方の物を識別し、蛇は温度で敵を知る。 とにかく全ての生あるものは皆食べて生きるため、防衛をあらゆる手段で高じている。人間は智恵をしぼり、お金を稼ぎ権力を得、多くの人を味方にして欲を満たし敵を防ぐ。または法律を作り社会安全を計る。だが人間は法律を破り法律を逆に利用して自欲を果たす。あるものは危険を侵し仇をとり、世界は常に権力と名欲によって弱小民族を味方にし支配する。この世は何か一つとして安全と思われるものはない。平和だと思われる日本は沈没が不安であり、中東での石油産国での争い、強い国は激しく争いやがて核を使う。地球上に平和が訪れたとしても、一億年周期に起こる地球の変化によって、氷河、洪水、旱魃、疫病、地震、とにかく宇宙にしろ地球にしろ何一つ安全というのがあるだろうか?今日いた人も明日はいなくなり、昨年までは財閥であったのが今年は廃家になったとか、 とにかく今が幸せであるから明日も幸せだという保証はない。果たして安全はこの世にあるだろうか?皆が不安全の中で一日を過ごしているのである。だが人間は長年の経験で慢性化し生も死も運命と思い、思いきったことをする。そして結果はしょうがないと思っている。とにかく全てに安全というのはないのだ。常に我々は不安の中で生死するのである。どうすれば不全の中で旨く生き伸びることが出来るかが人間の願望である。では安全と不全の法則を解いてみる。安全と不全は陰陽の法則で、一つのものが上がれば一つのものは下がり、一つのものが広がれば一つのものは縮む。何もかも正と反で宇宙は構成されたのだ。我々が生きているのも、老化と生化があってこそ生を保ち、争いと平和があって世は発展していくのである。とにかく不安定な世間をどのようにして生きていけばよいのかが問題だ。結婚をする時は離婚をした時のことを思い、お金を稼いだ時は貧乏になった時を考え、幸せな時は不幸になった時のことを思い、道を歩く時は事故にあうことを考えれば不全を安全に導くことが出来るのである。安全と不全、これは宇宙が続く限り存在し、人間が死ぬまで統くのだ。

著 力 抜 山