研究と開発

NO-70[精素学]全て自分のせいである

悪い奴のため僕がこうなった、そして人を憎み人を恨む、良い人にめぐり会えば成功率が高いと言う。朱にまじわれば赤くなるという名言もある。孟子を育てた三回目の移動説は有名である。はたしてこの世は人との付き合いで成功不成功になるのだろうか?釈尊は唯我独尊と言った。だが釈尊の唯我独尊説は唯自分の存在を述べただけである。つまり自分があるから全てがあり、自分が生きているからあらゆるものと接触が出来るもので、自分を唯一と主張したのが釈尊の理論なのだ。だが私の自分説は唯我独尊でなく、全てのなりゆきからあらゆる出来事これみな自分のせいから成立するという意味だ。人にだまされるのも事業に失敗するのも夫または妻が浮気するのも、これみな自分のせいであって夫のせいでもなければ妻のせいでもない。もっと自分を知りもっと自分というものを反省し、努力と勉強を重ね自分の過ちを探り確実な判断と正碓な感を働かすことである。現実離婚の原因は殆ど自己主張ときまぐれから起こる率が高い。これを別の角度で分析すると、お互い結ばれる前に何かの条件が欠けていた、情と愛によって判断が出来なかった、欲によって真が守れなかったことに大きな原因がある。金で結ばれたものは金で破れ、色で結ばれたものは色で破れ、欲で結ばれたものは欲で破れるものである。自業自得という言葉もそこに意味がある。反省これによって自分をつくり、経験これによってあらゆる理解が得られる。経験なくして成功なきものであり、失敗な〈して発展なきものであれば、生化は失敗からなり、老化は成功からなる。何故ならば体の生化は体験と活力にあるもので、若い時分は何でもかんでも挑戦したくなり、そして実行に移しながら心身共に生化をするのだが、あらゆるものが成功すると、そこには怠慢というものが待っていて、心の活動も鈍くなり体の動きも極減する。その時細胞は鈍くなり神経はなまる。体は楽へ楽へと進み、各器官の働きも低下する。全てに抵抗力がなく、毎に疲れが増して老化の道をたどる。柔らかい心身は生化し、固い体質は老化する。とにかく老化も生化も自分にあって、年のせいにしてはならない。勿論年と共に体は衰弱するものだが、その衰弱をカバーするのが運動であり、借力なのである。とにかく全てを人のせいにせず、自分をもっと反省し努力すべきであり、見えない力が未来を決めるのだ。

著 力 抜 山