研究と開発

N0-63[精素学]  馬 鹿 人 生

人間とは何か?人間と動物は何処が違うのだろうか?人間も動物も唯、動いているものには違いないが、人間は獣物と違った理想があり思想がある。そして人間は善を知り理解がある。そこて作られたのが道徳であり法である。人間は道徳と法律の元で社会をつくり国家を形成している。そして人間は弱配強支をなし特権者に一生を支配され死ぬ。動物は力で弱肉強食をするが、人間は知恵で一生の身動きを封じ込める。動物を見えるおりの中に入れて楽しむ人、人間を見えないおりの中に閉じ込めて喜ぶ人。見えないおり、世の中に法律がなければ社会の秩序にしろ国家運営に支障が来るが、特権者はこれを利用し、法律の網を旨く潜り抜ける。その法則は政治家と金権者に利用されている。有罪は無罪であり、無罪は有罪である。つまり法律はお金に動かされているということだ。そして人間は段々価値が落ち、お金は高く人間は安いものになった。そして人間は人間美をなくし、人格も青春もお金で判断し、人間が歩いているのでなくお金が歩いている様になった。全てがお金、お金があってこそ家庭があり、お金があって成功する世の中になったのだ。人間は正常な頭が使えず増々ご金頭になり、馬鹿になってしまったのである。人間馬鹿は正を隠し、欲を起こし、正常な人間を抑圧し、利己を働き裏では笑っている。その反面、使われる人間もやがて一緒になって、拍手をしながら笑うのだ。馬鹿というのは通常、頭の悪い人を言うのであるが、ここでの馬鹿は頭の良い馬鹿のことである。相手をだまし、だまされるのを見て喜び、相手を誘惑し、誘惑されるのを見て楽しむ。相手を法律の網に押し込め、押し込まれたのを見て笑う。人権を唱える善者を金権と政権で押しつぶして笑う馬鹿。果たしてこのような非人道的なものがこの世に生き残れるだろうか?それは一時的で絶対滅びるのが自然の法則である。砂糖は一時的な甘さであって多く食べると必ず副作用が現れるのである。人間も正道でないものは必ず滅亡の時が来るのだ。不道で稼いだお金は不道に奪われ、不道の政治家は不道の出来事で滅び、不道者は正道者に殺される。世の中は人間を馬鹿につくり出すのであるが、その馬鹿人生から離脱して生きることは難しいのである。見えない鎖に繋がれて生きている馬鹿人生。貴方が馬鹿人生から解かれたいなら一早く馬鹿人間から離れなければならない。そして体は馬鹿に支配されていても、心だけは人間馬鹿になるまいと。

著 力 抜 山