研究と開発

■NO-25[精素学]  どうでもいい

人間は生まれるとき、なぜ泣くのか?泣かないのは動物だけであろうか。泣くということは、体に来る刺激に痛さを感じることによって起こる現象であり、動物より人間が弱いからでもある。生まれて来た人間は、あらゆるかん難辛苦に耐えながら成長し空しく人生を終わるのである。複雑な社会で勝ち抜く人だけが、生きがいを感じ未来が楽しくなるのだが、生存競争に負けた人は「どうでもいい」と言う精神的に苦痛となり、それをまぎらわすため酒に溺れ、女に溺れ、誤った判断によって、窃盗、略奪、強盗と次々に犯罪を犯し、浮浪の道を歩み、自殺または人生を放棄するケースが多いのだ。動物界では全く想像もつかないことを人間はやっているのである。では我々が全く想像もつかない動物のー生はどうか?動物のー生は無味無趣で生きた価値もないように思われるのだが、そうでもないのだ。動物も人間も、その一生を決めるのは脳である以上、動物もそれなりの楽しみをもっているのである。豚の楽しみを我々が知るよちもないのであり、鳥が人間の楽しみを知るわけがないのである。では、「どうでもいい」と言う感念はどうして現れたのだろうか?その理由は二通りある、一つは心の疲れから来るもの、もう一つは体の疲れからくる現象である。心の疲れは墜落と自殺を誘発し、体の疲れは無気力と自身の放棄を起こすのだ。ー体何故人間だけがこのような弊害を起こすのか?その根本原理は[コソトロール神経]の薄弱にあるのである。コントロール神経の薄弱は何故起こるのか?その真実も二道理あって、一つは半知織であり、もう一つは遺伝意識である。低知の信念と高知の自信は素晴らしいところがあって迷いが生じないものだが、知らない低知の人は、心身薄弱になってしまうケースが多い。そして「どうでもいい」と言う感念を持つようになるのだ、又は中間知識層にも多い。別名、文明病である。中途半端の人が世渡りが難しく、左脳者の一生を歩むことになるのだ。そして名欲,権欲,で明け暮れ。そこからの敗北者は厭世症を起こして墜落の一生を終えるのである。悪いと思ったものは直して実行し、常に反省して研究をしなければならないのである。家を出るときは,忘れものはないのかと考え,歩くときは危険なものはないのかと考え,座っているときは怪しいものはないかと考え,人にあったときは目を避け,仕事のときはあわてないて時間を気にせず,交友は敵になったときを考え,女性は子供から考える。

著 力 抜 山