研究と開発

NO-134[精素学] 力と意識神経

体に力があっても充分な心が働かないかぎり満足な力は出ないのだ。力が充実しても意識がはっきりしない限りその力は発揮出来ない。力と意識は切っても切り離せない存在でもある。無織の力は馬鹿力であり、利口で力のないものは馬鹿利口である。力と利口が共通してこそ本当の力となるのだ。意識神経から来る力は、精神力、忍耐力、能力、活力、表現力、智力、競走力、念力、指導力、勤勉力、信念力、超能力、記憶力等がある。人間は空を飛ぶ鳥を見てうらやましがる、だが羽根のない人間は空にも飛べ、宇宙にも飛べるようになった。これは鳥とか魚には出来ない智恵である。人間の意識神経は鯨よりも強い力をだす機械を作りだし、宇宙を行き来する羽根も作りだした。だがこれも限度というものがあって限度を超えると逆に羽根が折れ飛べなくなり、力があふれ自滅することになる。馬鹿には二通り有る、智恵で自滅する馬鹿、何も知らず自滅する馬鹿がある。とにかく意識神経を有効に使えば地球上に平和が訪れるが、悪く使えば全生物が破滅になってしまう。お金があっても使わぬ者はお金がないものに等しく、分かっていても実行しないのは分からないのと同じである。意識神経からの智恵は全てを支配する恐ろしい脅威でもある。心の働きで幸、と不幸に分かれ、心の働きで生と死の境に立つ。意識神経から出る智恵も精素の力で聡明になり宇宙組織は磁素の力で変模もする。宇宙には宇宙のリズムがあり、自然には自然のリズムがあるのでリズムに逆行は出来ない。音楽にはメロデイの音譜があって美しい曲が流れる、それに逆行するとそのメロデイは乱れてしまう。人間の智恵も同じく、リズムに合わせ使用すれば何もかも旨く行くのだが、逆行すればリズムに切り離され寿命も短く自滅をまぬがれないのだ。勝利は力でもなければ智恵でもない、勝利は飽くまでも真実とリズムから得られるのである。どれが真実であって、どれがリズムであるのか、これは時代によって違って来るのだ。風習と正堂防衛等で正悪が決まるのである。宇宙と宇宙との変化、星と星との変化の成りゆきで平和な天体と自然が成立するのである。如何にして時代のリズムに乗れるかが、意識神経の役目である。昔は人間を見える鎖で繋いだが、今は見えないお金の鎖で繋いでいるのだ。、見える力の有限、見えない力の無限。意識神経は生化神経と感覚神経を支配するのだが逆に支配され易いところもある、これが生物の意識反応でもである。

著 力 抜 山