研究と開発

NO-120[精素学]生命の三大要素

生命体の三大要素は1-精素、2-神経、3-細胞である。この三大要素をぬいては完全な生命体とはいえないのだ。だが不思議にも三大要素が存立せず、一つの生命組織をしたのもいる。生気生命体とか幽霊などは磁性精素生体である。植物は細胞生命体に属し、神経生命体は主として細菌、黴菌等である。これらの細菌は体全体が生化神経体の働きで生成され、現れたり消えたりするのだ。癌細胞も生化神経性生命体なのである。普通の細胞は細胞組織から離れると殆ど死んてしまうのだが、癌細胞は独立しても充分に生きられるのだ。これらを見ても生命力は貴重なものである。その反面、生命体は如何にきたないものかでもある。腐ったところからしか現れない生命体、腐ったところでない限り成長が出来ない生命体、弱肉強食でない限り生きられないのが生命体であり、勝てば生き、負けば死ぬのが生命体である以上。それらの生命体がはたして貴重なものであるだろうか?実のところ、生命にならぬものが貴重であり、生命でないものが高貴かもしれない。しかし何故、なにもかも生命体になろうとするのだろうか?それは壊れたパワー粒子が最後の手段として結集し生き延びようとするからである。即ち、粒子が生き延びるため細胞となり、その細胞が生き延びるため形を造って動物となり人間になったのである。我々の体はパワー粒子が最後の手段として簗きあげたのが生物であり、パワー粒子が生きるため、様々な悪知恵を働かすもので、生物というのは物質よりも悪質であるということである。全ての人間よ物質になれ!熱せぱ溶け、冷めれば結ばれ、打てば砕かれ、捨てればころがる。全く嘘のない正直な反応体になれ、それは物質だからだと一笑するかもしれない。では生命をもった死物はないのだろうか?体は死物だが心は生物だとか、名誉は死物であるが実力は生物だとか、人間的なものは死物であるが能力は生物だとか、とにかく生物としての生きかたも様々あるものであり、人間としての生きかたも色々あるということも否定出来ないのである。力は知恵に勝てず、知恵は運に勝てないものであれば、生命体での最高を誇っている人間だってたいしたものでないということが分かる。だだの人間であり、だだの人物であり、だだの力であり、だだの知恵であり、ただの権力であり、ただの名誉であれば、何一つ尊いものがあるだろうか?生命これは最悪の条件であり、生命これ最後の悪条件なのである。

著 力 抜 山